大学生による大学生のためのWEBマガジン
山口:音楽スタジオを経営されていますが、その理由や経緯をお聞かせください。
ラリー藤本氏(以下ラリー):
学生の頃からプロを目指してバンド活動していて、今もやっている”CHAINS”というバンドでメジャーデビューをしました。 マザーシップはそれとほぼ同時期に、バンドと個人の制作拠点として一念発起して立ち上げました。残念ながらバンドは売れないまま契約が終了し、給料や見返りが貰える立場ではなくなったので、以降マザーシップを業務スタジオとして本格化し生業としてやっている…というのがこれまでの流れです。
山口:具体的にはどのような仕事内容になるんですか?
ラリー:
普通にリハーサルスタジオとしてバンドさんに時間貸したり、CD制作などのレコーディングを請け負ったりという感じです。ただ、マザーシップは造りが「バンド小屋」みたいな規模なので、来てくれるアーティストさん一人一人とパーソナリティを共有してモノづくりを一緒にやっていくというスタイルが多いです。馬が合えばプロデュースみたいな事をさせて戴く事も有ります。全てに目が届く規模なので、言うなれば、大きいスタジオでは出来ない一歩踏み込んだ ”世話を焼く” というのが僕の仕事ですね。
山口:学生時代バンドでデビューされたわけですが、就職しなかったことに対して不安などはなかったですか?また、そう思えた理由を教えてください
ラリー:
当時なりたい職業がミュージシャン以外見当たらず、若くて世間を知らない強み?(苦笑)か、不安はありませんでした。同期の連中が会社で要職に就いて苦労するなか、自分は大学卒業してから20年以上やりたい事だけを続けて飯が食えてるのもまた稀有な事ですが、あのまま新卒でテキトーに就職してたら自 分は音楽すら辞めていたかもしれない。今はこの道を選んでラッキーだったと思っています。家族や仲間の理解とサポート、自分を必要としてくれている人達に感謝する日々です。
山口:この仕事で、苦労した面はありますか?
ラリー:
音楽業界の景気が年々悪くなっているので、限られた予算で以前と同じ様な良いものを作るという事が段々難しくなってきている点でしょうか。時代の急激な変化で音楽の消費のされ方も変わり、レコード会社が潰れたり制作予算が減ったりなくなったり。無論この業界に限った話ではありませんが。あの手この手 で良いモノを作っても、世の中的に成果をうまく出せなかったりした時は自分の力不足や歯がゆさを感じる事はあります。
山口:大学時代の経験で今に役立っていることは何ですか?
ラリー:
時間が無限にあったので、自分のやりたい事を徹底的に出来た事ですかね。勉強もそこそこに、朝から晩までずっとベースを弾いてました。本当に寝てる時と風呂入ってる時以外ずっと。それが今の仕事の糧になっています。けどもし今学生に戻れるなら、もっと勉強したいですね(笑)。
山口:どういった時に勉強していたらよかったと感じますか?
ラリー:
知りたい事がたくさん出てきた時に。例えば僕は大学は経済学部だったんですが、基礎がごっそり抜けている科学分野の事とか、あるいは宗教や哲学の事とか、学生時代に勉強しておけば今読んでるこの本がもっと楽に理解できるのになぁと思うと、勿体無かったなって感じますね。
山口:今後、仕事を通じて実現したい夢や目標があれば教えてください
ラリー:
才能があるのにくすぶっている若者達を上手い事突っついてその気にさせ、それがきっかけで外に羽ばたいて行く、そんな瞬間をより多く目にしたいと思っています。
山口:最後に、今の学生に一言お願いします
ラリー:
やりたい事がある人は、それをとことんやってください。将来お金に困るとか世間体とか考えず、今こそ徹底的にやった方が良いと思います。無駄な事は絶対にないし全て将来に繋がっていくので。いま学生さんに言いたい事はコレ一点です。
山口:ありがとうございました
ラリー藤本:
マザーシップスタジオオーナー兼ベーシスト。大阪府出身。20歳から京都で本格的に音楽活動を開始。’92年ベースマガジン主催のラリーグラハム・スラップトーナメント優勝。’93年度の同志社大学 The Third Herd Orchestraへの参加などを契機にジャズ/ソウル系のバンドでベースを歴任。’95年頃からオリジナル日本語ロックバンドの活動に傾倒。’02年CHAINSに加入し、翌年コロムビア/TRIADよりメジャーデビュー。同時期にマザーシップを立ち上げ、以降スタジオ経営の傍ら京都系周辺アーチストのライブサポートや制作プロデュースをライフワークとする。趣味はゴルフと説明。ハウスダストアレルギー。
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