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羽衣国際大学教授 にしゃんたさんインタビュー

-専門分野を教えて下さい。

専門は一応、経済です。中でも日本的経営の海外移転可能性について研究してきました。以前7年間勤めていた山口県立大学では経済をメインに教えていたが、今の羽衣国際大学ではどちらかと言うと現代社会学的なテーマを中心に教えています。自分自身の関心も、経済や経営から市民社会の方に移行してきています。

 

-教授以外の現在の活動はどういうものですか?

テレビなどのメディアでコメンテーターをしたり、講演活動をしたり、子育てをしたり、執筆−本を書いたり、ニュース記事を書いています。あと落語もやっています。

 

-何故落語をされたんですか?

外国出身者が必ずぶつかる壁の一つは「言葉の壁」です。私も例外ではない。落語にチャレンジするようになったのは、どこか日本語に対するコンプレックスを打ち破りたかったのかかもしれません。もちろん落語は素晴らしい日本の文化の一つです。これから一生をかけて学び取り組んでいきたい。

 

-講演の内容はどんなものでしょうか?

地方自治体、学校や企業など様々な処でお話していますが、内容として「違いを楽しみ、力に変えよう」というものが主です。私たちの周りには違いしかないです。「違い」といかに関わるかが、社会のあらゆる空間において一段と大切な時代に私たちが生きています。違い、異変、変化に速やかに気付き、それらと正しく関われば、そこに笑顔と平和と持続可性が生じ、間違った付き合いをすればその逆です。このことを訴え、働きかけています。

 

 

2016-01-07-11.35.11

-どんな大学生でしたか?

私が日本に来たのはバブル経済の頃で、海外では日本ブームが起きていた時代。留学生も一気に増えだした頃ですね。当時日本人の学生はバブルを謳歌していて、私はそれと真逆で苦学生でしたね。嵐山で住み込みで新聞奨学生をしていたんです。

学生生活は充実した4年間だったと振り返ります。ハングリーに何事にも取り組みました。昼間は体育会系の日本拳法部、二部(夜間)ではラグビー部、町道場では空手、週末は太極拳を学びました。大学を代表して関西学生ボディービル大会にも出ました。因みに当時は体脂肪7%でした(笑)

ですが大学2年生の時に膝を骨折しました。体力には自信があったんですがスポーツはドクターストップ、私生活にも支障が残りました。もうこうなったら頭を使わなくてはいけない。それが勉強に力を入れるきっかけになりました。

 

在学中は弁論大会にもたくさん出て、全てに優勝しました。初代の京都府名誉友好大使にも選ばれました。

立命館大学800人いた経営学部卒業生の学部総代として登壇して卒業証書を貰いました。

その後の就職活動は「国籍条項」など外国人であるがゆえになかなかうまく行きませんでした。そこで大学院に進む道を選びました。最終的に経済で博士号を取得し大学で教える道に進んだんです。

 

-学生に対して思うことは?

今の大人が作ったこの社会がこれで良しと思うのか、あるいはこのままではいけないと思うのかですね。何が良くて、何が改善されるべきかを見つけて取り組んでもらいたい。今世の中で戦争とかいろいろな問題が存在しますが、「違い」という存在に対しての受け止め方であったり、反応の仕方であったりが間違ってるから起きるんですね。違うものに対する大らかさや、受け入れる感性を若者が持ち合わせる事が解決に繋がると信じています。例えば、皆さんの周りには当たり前のようにLGBTの子や外国出身者やダブルの子が友達としています。大人の世代には、まだこれらの少数者に対して免疫力が付いていない人も多くいます。学生の皆さんには自然に身についている「違い」というものに対する大らかさを大事に、これからの世の中を作っていってくれることを期待します。

 

 

取材:小椋友仁 佛教大学3回生 / 近藤諒太朗 同志社大学3回生

 

にしゃんた 日本で知った幸せの値段-(1)

 

日本で知った「幸せ」の値段~無一文の留学生が大学准教授になるまで~(講談社)

 

日本に憧れ、たった7万円を持って来日したスリランカ人のにしゃんたさん。
難しい日本語に四苦八苦し、お金もなく、差別やいじめを受け、ときには円形脱毛症になりつつも、「いつかは日本で一旗あげてやる!」の一念で、笑顔で乗りきった25年間……。苦学生から経済学者になったにしゃんたさんが、日本で遣ったお金と貰ったお金、<お金>をキーワードに感じた、ユニークな日本の素顔。経済学者の金銭収支から、本当の日本の豊かさを考える!

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にしゃんた Nishantha 羽衣国際大学 教授

1969年スリランカのキャンディー市(世界遺産)生まれ。

 

高校生だった87年にボーイスカウトで初来日。その翌年に留学のため再来日をし、立命館大学に入学。新聞奨学生をしながら大学在学中に全日本空手道連盟公認四段・全国空手道連盟公認指導員を取得したほか、多数の弁論大会に出場し優勝する。大学卒業後、大学院に進み、経済学の博士号を取得。現在は京都に在住し、羽衣国際大学で教鞭をとる傍ら、テレビ・ラジオ出演、講演会や執筆活動などを行っている。

2005年日本国籍取得。08年日本女性と結婚、二児の父。

最新刊は『ブッダと歩く神秘の国 スリランカ』(キノブックス)

URLnishan.jp

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